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こんにちは。今回は、現代日本人の多くの精神構造があまりに美徳とはかけ離れているということについて訴えたい。

 

これまであまりに理不尽な出来事の数々を目の当たりにしてきたからだ。その一例を紹介する。

 

わたしは大学で、あるゼミに属していた。自分の興味のあるテーマで卒論を書けそうだという理由でこのゼミを選んだ。

 

しかし、わたしは浮いた。周囲とはものの考え方がちがったから。

 

周りの人は、効率とかパフォーマンスの質とか気にせず、漫然と課題をやりこなすことを望んだが、わたしは段取りよく作業したかった。見方を変えれば、周りは器用でわたしは不器用だった。

 

周りは何についても受け入れて同調したがったが、わたしは間違っていることはきちんと指摘できる空間を望んだ。つまり、彼らは是非を問わず「和」を重んじたし、わたしは似非の和など存在しないに等しいから無意味だと感じていた。

 

こういったことからわたしは次第に浮き、ゼミ生からコンパで省かれるなどのいじめを受けたり、馬鹿にされたり、しまいには教授からも間接的で陰湿ないじめを受けた。それは、明らかにゼミに参加するうえで物理的に支障をきたすレベルだったが、当然無視された。

 

大学の上の機関に訴え出ようとも考えたが、単位を落とすことに変わりはない以上得策ではないと気づいた。

 

あまりの辛さに放棄した自分が悪い。勝手ににげたのだから相手は悪くない。もちろんそんなこと理解してる。でも、それにしても言いたいことがある。

 

彼らは「和を以て貴しとなし、さからうことなきを宗とせよ」の本当の意味を履き違えているんではないだろうか。

 

自分の解釈に過ぎないが、この言葉は本来、いかなるものにも寛容で、それを否定したり攻撃したりせず、受容し合うことで和を尊重せよ、という教訓に思える。

 

しかし、ゼミ生のやったことは、寛容にして受け入れる行為とは程遠いと思うのだ。

 

ここで語ったのはたかが1つの出来事に過ぎず、この現象を至る所で目にしてきた。わたしは、日本では圧倒的に少数派なものの考え方をするようだ。自身にも欠点がある以上他人の考え方に干渉して変える気はゆめゆめないが、どうにか彼らの文化を超えた精神性の持ち主にはなれないものだろうか。